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木を盲信してはいけません。 (via rpm99) (via hustler4life) (via yaruo) (via inetgate) (via asada-santohei)
全くその通り
舞台裏
「テレビ局によって作られる感動」など
はっきり言います。私の兄が、教師をしていて、30人31脚で全国大会に出た学校に勤めていました。(兄は低学年の担任だったので、参加していないとのことです)テレビに出るわけですが、学校や保護者の負担が非常に大きいそうです。また、テレビ局側からのある意味やらせ的な要求が多く、辟易したそうです。(お涙頂戴的なエピソードの強制や、学校側としては、クラス全員での参加をしたかったが許されなかったということ、足の遅い子を励まして・・・といいながら足が遅い子をはずすように要求されるなどなど。)担任の先生は、周囲が受けた理不尽な要求のことを知らされていないこともあるので、また参加したいという意見を出しているようですが、周りははっきり言ってこりごりであるという気持ちの方も多いそうです。
こういったことは、ある程度学校の現場の中で、話にあがることがあるようです。テレビで放映されているから、それがすべてではないことを、十分に承知の上で、お考えされた方がよいと思います。
30人31脚。 - Yahoo!知恵袋
「保護者のノリもけっこう怖い」
ウチの学校も出場します。子供達の3分の1はやりたい子達、残りの3分の2はどちらでも良いとやりたくない子供達です。やはり、押しきられる形で参加が決まりました。しだいに練習がエスカレートしてきて、夏休みは毎日学校へ通いました。授業のある日は毎日朝練、昼練、放課後練習をし、土曜日も練習をしています。市外の施設を借りて本番さながらの練習もしています。子供達は疲れきっています。
でも、一番恐いのは暴走している親達です。この過度とも思える練習メニューは一部の親達が考えて実行し、指導しています。教師はただ黙って見ているだけです。擦り傷、切り傷、爪はがしに嘔吐は当たり前、
「お前ら、仲良しゴッコをしてんじゃないんだよ!優勝したいんだろ!?」
今日も体育館に母親達の怒声が飛び交っていました。
何か違う、違いますよね?先生。30人31脚はひとつ間違えると取り返しのつかない事になります。
30人31脚を考える-元気が出る学級づくり(コメント欄)
38 :日出づる処の名無し:2009/12/07(月) 18:24:19 ID:7/fKU0dl
»16
210 名前:可愛い奥様 投稿日:2009/12/06(日) 02:40:01 ID:q+IngSdP0
聞くところによると麻生さんは自分へのバッシングについて
「あんなの炭鉱の閉山争議に比べたら全然よw」って笑ってたらしいねぇ
それに引き換えバカ鳩は><
決めない人々には、共通する3つの性質がある。(1)まず、現状から変化するようなリスクに異様に敏感である。だから、リスクのある決断での自分の責任を極力回避したがる。(2)つぎに、部門間で言うことが違う。各部署が、きわめて部分最適化されていて、自分に都合のいいことだけしかOKしない。(3)しかも、この種の客先にかぎって、決して追加を認めたがらない。
不思議なことに、決める人か決めない人かは、ほとんど会社の体質によって定まっており、個人の性格には依らない。企業の中で、「決めない人」が一人いたら、他の人もだいたい「決めない人々」だと思ってよい。まあ、たまに例外がいて、その決断力のある人だけが有能だったりするケースもあることはあるが、同じ会社の社員というのは、ほとんど同じだと思った方がよい。なぜ、そうなるのだろうか?
その理由は簡単だ。「決めない人々」の働く会社には、決断の基準となる『仮説』が共有されていないからだ。以前、「仮説検証のトレーニング」にも書いたとおり、戦略とは組織レベルで仮説を共有することだ。「市場はこうしたニーズを持っているはずだ。この製品にはこうした利点がある。だからこんな作り方や売り方をすべきだ・・。」 仮説とはすなわち、賭けである。賭けである以上、当たりはずれがあり、リスクがある。だが、それは会社レベルで選び取られたリスクなのだ。
そもそも会社とは、なんらかの目的を共有した組織であるはずだ。目的があれば、そのための戦略がある。そこには必ず、仮説と賭けがある。逆にいうならば、「決める力」とは、その組織がなんらかの仮説を背後に共有していることを示している。つまり、その会社は、ものの見方に一貫性があるのだ。
そして、悲しい事ながら、一貫性ほど日本の企業に乏しいものはない。あるのは思いつきと行き当たりばったり・・と言えば厳しすぎるかもしれない。しかし工場が営業の販売予測を信用せず、設計部門が購買部門の経験から学ばない会社は、枚挙にいとまがない。
こうした会社は、存続だけが自己目的となっている。現状維持が目的だから、変化するリスクは排除されねばならない。仮説がないから、決断もない。何か前例のないことをやろうとする者は、減点主義によって罰せられる。こうした企業に跋扈するのは、前例重視とと部分最適のルールである。部門ごとの独善と言いかえるべきかもしれない。
119 : 硯箱(神奈川県):2009/12/05(土) 20:07:45.64 ID:SxTHGhfp
つーかサビ残を「労働基準法違反」ととらえるから
いつまでも改善しないんだよ。
「サビ残は、労働者から会社への利益供与に当たる」とすれば、
「贈与」として、会社側に納税の義務が発生する。
無能な労働基準監督署じゃなく、税務署が動けば、経営者は震え上がるはずw
534 : ミリペン(東京都):2009/12/05(土) 21:11:30.82 ID:7goIlbJd
»119
それいいね!罰則より強制力がある。
いっそ年間100時間越えたら査察が入るってのはどうだ?w
80年代、まだ労組が力があった時代のほうが残業は厳しくないし
ましてやサービス残業なんか無い。
そういうのは請負という形で仕事になってたし
カメラマンや編集者など特殊な人だけの話。
さらにそういう仕事は保証も無い代わり報酬も高かった。
(高いから次の仕事の保証もなし)
安く使うってことは安いものしか買わないってことだね。
経済なんて自分とは関係ない話、勉強で習うことかと思ってたが
実際にデフレになってみると
へぇ~って思うよ。
576 : 筆ペン(神奈川県):2009/12/05(土) 21:15:54.09 ID:h6EIqR3Z
»119
斬新な視点だな。
俺、経理やってるのに、その着想にはいたらなかったよ。
社会制度なんて、とどのつまりがインセンティブ体系の
結果なんだから、サビ残から経済合理性を取っちまえば
済むわな。
— 今のエレクトロニック・ミュージック、ダンス・ミュージック状況に関して、どのようにお考えですか。
Jeff Mills : まあ、そのつどの流行に関しては特に言うことはありませんが、ただ感じるのは、できること、可能なことと、実際に作られているものの間に大きなギャップがあるんじゃないかということです。最近のハードウエアやソフトウエアの進歩はすごくて、ほとんどどんなことでもできるのに、それを有効に使いこなせていない。表現力やイマジネーションが足りないんじゃないかという印象ですね。
— テクノロジーの進化に人間の感性が追いついていないと。
Jeff Mills : その通りです。今に始まったことではなく、人間のエモーションがテクノロジーに追いついてない状況は、エレクトロニック・ミュージックが生まれた当初からあったんじゃないでしょうか。私としては、テクノロジーをいかに使っていくのか、いつも模索しています。音楽も、イベントに関しても最近はいつも形が決まり切っていて、テクノロジーの面でもエモーションの面でも何も新しい要素が感じられない。むしろ退化してるんじゃないかと思うぐらいです
— ふむ。最近出た Kraftwerk のボックス・セットはお聞きになりましたか?
Jeff Mills : 何曲か聞きましたよ。
— 私はあれを聞いて、エレクトロニック・ミュージックって、このころから何が進化してるのかと考えてしまいました。
Jeff Mills : その通り。まさにそういうことです(笑)。
数十万台のサーバーを運用するグーグルにとって、信頼性の高い電力を、出来るだけ安価に確保することは、文字通り生命線である。「グーグルが発電所を作った」と聞いたときに、私は、グーグル経営陣の、自社の事業に必要不可欠な経営資源を、出来るだけ他人に頼らずに、自分たちのコントロール出来る範囲に置きたい、という固い決意を読み取った。
グーグルのサーバーが、電力を大量消費するように、世界有数の大広告主であるコカ・コーラは全世界のあらゆる広告枠を大量に消費している。
コカ・コーラの経営陣にしてみれば、グーグルが自ら発電所を運営するように、自社のメディアを構築・運営し、消費者と直接の接点を持ちたい、と思うのは極めて自然なことなのかもしれない。